心のグローバル化

新年あけましておめでとうございます。

2019年新しい年を迎え、新たな気持ちでスタートしましょう。

今日は、心のグローバル化と題して、少しコラムっぽくなってしまいますが、私の思いと共に問題提起させていただきます。長文ですみません。

いまや一人に1台以上 スマホや携帯電話を持ち
コミュニケーションツールとして定着して久しいが
その弊害として、人と人との直接の
コミュニケーションがうまく取れなくなってきているように見えます。
スマホアプリなどのツールを駆使して、なんとか心通うコミュニケーションをとるために
四苦八苦しているようにも見える。
これは、技術の進歩に対して、人間のオペレーションが追い付いていけてないからだと思う。
その結果、益々ジェネレーションギャップが広がり、世代間のコミュニケーション格差が生まれているのだ。
人間の適用能力は、この状況回避できると言う人もいる。
まだ人間の進化の過程で次々に変わる技術の進歩に対して、我々はどこに向かうのか。

セクハラ、パワハラという現象。昔からあったものだが、定義が明確になり
SNSなどで市民権を得たため、顕在化してきている。
もちろん、セクハラ、パワハラといったハラスメントは許されるものではなく正当化するつもりもないが
これも、技術の進歩の速度に、世間の常識が変わる速度が、追い付いていない事例の一つだろう。
年配の方ほど、昔はこうだったと旧態を語るが、常識の変化に対して、それに逆行して頑固さも増しているので、世代間での認識が合わない。そのためコミュニケーションがうまく取れないのだ。

これまでの日本は
年配者、年上の人との会話では、敬い、気を遣うという文化が長く根付いていて
年下の者が、年上の人に会わせたものの言い方をしていた。
これが正常なコミュニケーションの形であると、親から代々受け継がれてきたものであるが
そのために、日本語は複雑な敬語や謙譲語などが出来上がり、それをコミュニケーションに駆使していた。
未だに、形式の場では、このような言葉が使われるが、果たして正しく使われているのか?
もう、現代の年配者も理解できていない人が多いのではないでしょうか。
それは、使う機会が減っていることが主原因と思われる方もいると思いますが、
そもそも、「年下の者が、年上の人に会わせたものの言い方」をすること自体が減ってきているからではないでしょうか。

この日本古来の美徳される敬老が、コミュニケーション力の低下と共に
失われてきているように思えてなりません。
その弊害がジェネレーション間の意思疎通を阻害し、その結果、
パワーのある(年配)の方の言動がハラスメント
と受け手には捉えられている元凶であると考えています。

だから今は、おかしな現象?が起きています。
上司が部下に気を使って話をしている構図です。
昔は「年下の者が、年上の人に会わせたものの言い方」
今は「年上の者が、年下の人に会わせたものの言い方」
になっているというのです。

コミュニケーションで考えると、どちらかに合わせた会話で理解が取れ、
和やかな関係が築けるので問題はありません。
では、日本古来の美徳される敬老は、どんどん失われつつあり、これをもう過去のものとして
進化していく日本であって本当に大丈夫なんでしょうか?
「おもてなしの心」と言われる日本が、結局他の国と変わらない感性に進化?していき
このままでは、何のとりえもない国に、将来向かっていくのではないかと危惧してやみません。

地域の活性化は、
これからは地方の特色である、「おもてなし」をこれからの日本人に率先して伝え残していく役割を担っていると思います。
コミュニケーションも現代に合った常識で、先達から脈々と受け継がれている感性を合わせて
進化させていくことが、未来のニッポンを作っていくことではないでしょうか。
そのために、原点にもう一度戻り、心のつながりを重視したヒューマンコミュニケーションを磨くことが
この技術の波にのまれない日本人の心を、作っていくことにつながると信じています。